一日遅れのバレンタイン
それはサフィールに割り当てられた研究室から始まった。
いつものように執務を放置して脱走したこの国の皇帝がそこを訪れていた。
「…バレン、タイン…?なんですか、それは?」
衝撃の一言だった。
固まる俺を無視して目の前の細い銀髪男はペラペラと喋っている。
「今日がその“バレンタイン”だとなにがあると言うのですか。
そんな祭日でも祝日でもない年間行事に正式登録されていない日のことなどどうして私が知らなければならないのです?」
俺は当然このイベントを知っていると思っていた。
だって人格はどうであれ知識だけならコイツの頭はとても優秀で、どんな無駄なことでも覚えているようなやつだ。
いや、そもそもこのイベント自体世間一般ではメジャー過ぎるほどメジャーだ。
だが、それだけではどうやら俺の認識は甘かったようだ。
コイツは常識もないし、世間にものすごく疎い。
今日、そんな事実がまざまざと俺の脳裏に焼き付けられた。
「はぁぁぁぁ…まさか本当に知らないのか?サフィール?」
思わず漏れる深い溜息。
「だから!何度も言わせないで下さい。知らないといったら知りません!それより早く執務に戻ってください、貴方がここにいるとジェイドに怒られるのは私なんですからね!」
「…サフィールいいかげん俺でも泣くぞ?」
自分が…自分が今日と言う日をだれだけ待ち望んだことか…!
なのに、執務室を抜け出してきた自分に告げられた酷な事実。
それだけならまだしも、こいつはまたジェイドジェイドって、こいつの頭の中にはジェイドしかいないのか!
恋人は俺のはずなのに…。
「はぁ?泣くなら執務室に戻ってからどうぞ?」
心底迷惑って顔でシッシと手を振られ、椅子をくるりと机の方へと戻し完全に背を向けられた。…本当泣きそう。
「なぁ、サフィール…俺ってお前の何なんだよ。」
背中から抱きついて耳元で低く囁く。
耳が弱いって事も、俺の低い声を気にいってる事も知っている。
「な、ななな…」
案の定後ろから見ても分かるくらい耳を真っ赤にしてうろたえる。
あんなに冷たいことを平気で言うくせにこんな所はウブなままだなんて…正直そんなギャップも可愛いと思えてしまう。
「なぁ、サフィール言ってくれよ。俺はお前にとってなんだ?」
「ん…っ、」
耳の元で囁かれる声に耐え切れないかのように甘い声を漏らす。
でも、まだ許してやらない。
俺の受けた心の傷はこんなものじゃないんだから。
「なぁ、サフィール答えてくれよ。」
「…ぁ、えっと…、その…ピオニーは…その…」
こうやって恥ずかしながらも“お願い”すれば、必死に答えようとする。
「わ、私の……」
「俺はお前の…?」
意を決したようにくるりと振り返り目を合わせる。
「こ、こい、びと…ですっ」
「……」
「ぴ、ピオニー…?どうしたんです?何固まってるんですか…」
「あーーー!もうやっぱりサフィールは可愛い!!そうだよ、お前は俺の最高の恋人だよ!」
愛おしさが極まりそのままもっと強くぎゅっと抱きしめた。
さっきまでジェイドジェイドとほざいていた事もこれで帳消しだと思える俺も大概単純だと思うが。
「…~っ!本当恥ずかしい人ですねっ!」
抱きしめる腕をぽかぽかと叩いて逃げようとするけど、恥ずかしいがりだと知っているからそんな抵抗は無視だ。
それにこんな可愛い事言われて抱きしめなくていつ抱きしめたらいい?
「キィィーー!もう、早く出て行きなさい!馬鹿!この馬鹿皇帝!」
「そんな事言うなよ、サフィール、な?」
「うぅ…。」
どうせ力では敵わないと知っているサフィールは早々に諦めてせめて顔を見られないように自分を抱きしめる俺の腕に顔をうずめる。
でも、もう俺は知っている。
それは嫌悪や苦手って感情ではなく抱きしめられるのが、俺と触れ合うのが恥ずかしいからだって。
「あ、そうだ、サフィール今日はチョコレート持ってきたんだ。一緒に食おうぜ?」
本当はチョコレート交換するつもりでウキウキと選んだものだった。
恋人になって初めてのバレンタイン。恋人がいる身としてはウキウキして当然だろう。
でも、サフィールはこの日を知らなかった。いつまで期待してても仕方ない。
しかしそれを聞いたサフィールはこれはチャンスとばかりに目をキラキラさせて
「じゃ、じゃあ私お茶入れてきますね!」
と言って怯んだ腕から抜け出して、奥の簡易キッチンに入っていった。
「…まったく、いつまでたっても慣れねぇな。」
苦笑する。俺のスキンシップ過剰は今に始まったことじゃないのに、それでもサフィールは慣れない。
簡易キッチンから二つのカップを持って現れたサフィールと一緒に午後のおやつタイムに入る。
こいつはガリガリな体型のくせに食う量は人一倍で、今日のチョコレートも会話そっちのけで美味しそうに食べている。
(…本当、食べてる時と譜業触ってる時は幸せそうだよなぁ。)
微笑ましい気持ちになりながらタイムリミット(誰かが呼びに来るまでの時間)を楽しみ、少し残念な気持ちとやっぱり少し幸せな気持ちで執務室へと帰った。
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そして、その頃再び研究室で一人になったサフィールは考える。
「そういえば…今日ピオニーが言っていたバレンタインとはなんの日なのでしょうか?」
しかし、仕事兼趣味に戻ったサフィールはそんな事すっかりと忘れていた。
そしてそんな一日が終わる少し前。
研究の進み具合を見にジェイドが訪れた。
「サフィール、今日の報告を…。」
淡々とした報告が終わる中、サフィールは日中の出来事を思い出した。
「あの、ジェイド?」
「なんですか。研究になにか不備でも…?」
「いえ、違うんです、あの、私的な事なのですが、ジェイドは“バレンタイン”って知ってますか?」
「…」
「…」
「…」
「…は?」
「いえ、いいです。ジェイドも知りませんよね。そうですよね!」
ジェイドは思わず耳を疑いたくなった。ジェイドが硬直している間にもサフィールの中では結論が出されたのか「あんな誰でも知ってるみたいなこと言ってやっぱり誰も知らないんじゃないですか」なんて言っているがそれどころではない。
「…あなた、まさか本当に知らないんですか…?」
信じられない気持ちでジェイドは気力を振り絞って尋ねる。
「え、ジェイドも知っているんですか?」
「はぁぁぁぁ…馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが貴方がここまで馬鹿だとは…」
「っな!私が馬鹿ですって!?この完璧な私のどこをどう見れば馬鹿だという…!」
「黙りなさい。」
この馬鹿を黙らせる為に睨みつけ低い声を出してやる。
「あなた、まさかとは思いますが本当にバレンタインを知らなくて、しかもそれを今日ピオニーに言ったんですか?」
「え、えぇそうですよ。だってそんなイベント年間計画にも書いてありませんし…。」
「はぁ、なんだか陛下が哀れに思えてきました。いいですかバレンタインと言うのは…」
バレンタインの一応の起源からどういうイベントでどれだけ世界に認知されているかを聞いたサフィールは顔面を蒼白にして悩みだした。
「どうしましょう、どうしましょうっ!私ピオニーに酷い事を…!どうしたらいいでしょう、ジェイドっ!!」
自分が物凄い罪を犯したかのように泣き始めてしまった。
しかしジェイドは冷静に分析する。
普段だと、どうしてもサフィールがピオニーを苦手としていた名残でなんだかピオニーを毛嫌いしているように見える(ピオニー曰く、照れている)が、恋人たちのイベント一つ逃した程度でこんなにも取り乱すほどにピオニーを愛しているんだと深く見せ付けられた気がした。
しゅんと耳を垂らした犬のように落ち込むサフィールに一つの提案をする。
「…そうですね、今からだと確実に日付は変わりますがチョコレート、作ってあげたらいいんじゃないですか?」
「で、でもそれじゃもう、バレンタインは…」
「では、貴方は何もしないで終わるんですか?来年の今日まで何もしないでいいのですか?」
「そ…れは…。」
「ほら、迷ってないで、やるならやるで早く買い出しに行きますよ。」
「え?ジェイドも一緒に行くんですか…?」
「もうこんな時間です。開いてる店は限られるし何よりも罪人である貴方をこんな時間に一人で出歩かせることは出来ませんからね。…ほら、行くんですか?行かないんですか?」
「い、行きます!!ちょっと待ってください準備しますから!」
ドタバタと転びそうになりながら駆けていくサフィールの背中を見ながら思う。
私に付きまとってきた頃はあんなにうっとおしいと本気で思っていたのに、離れてからは子供を見守るかのような気持ちでピオニーと居るサフィールを見ると、まるで自分の子供を他所にやるような気持ちになってしまう。
…同じ年なのですけれどねぇ。
一言「サフィールを預かる」と書置きを残し、準備を済ませたサフィールと共に夜の街へ繰り出した。
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準備をするとサフィールを連れてカーティス家の屋敷へと連れてきた。
サフィールの研究室の簡易キッチンでは料理をするための道具はほとんどないからだ。
「では、私は自室にいますから何か分からないことがあればどうぞ。」
「ありがとうございます!ジェイド!」
そのままサフィールはキッチンへと姿を消した。
それからどれだけの時間がたったのか、もう既に深夜でさすがにそろそろ寝ようと思った時だった。
控えめに部屋をノックするコンコンという音が聞こえた。
「はいどうぞ。」
「失礼します…ジェイド、その…何から何までありがとございます。本当ジェイドが居てくれて良かったです…。」
「いえいえ、別に構いませんよ。」
「あの、それでですね…えっと、その私にはピオニーが居ますから本命とか、そういうんじゃないんですけど…これ。」
「これは…。」
「えっと。トリュフです…あ、ちゃんとビターで作りましたからジェイドでも食べられると思いますよ。」
「…ありがとう、ございます。」
サフィールからよもやチョコレートを貰うとは思っておらず、ましてや誰より待ち望んでいるだろう陛下より先に頂くのは悪い気がするが…。
そして何よりサフィールから貰えた事が何故か嬉しい自分に戸惑う。
本命ではないと本人の口から聞いているし、私の中でサフィールは精々腐れ縁でしかないのに。
「では、私は向こうの研究所に戻りますね。」
「いえ、今日はもう遅いですし貴方に夜道を歩かせるわけにはいきませんからこちらに泊まっていきなさい。」
まぁ、一日くらいいいだろう。一応サフィールの管理責任者は私なのだし。
「…いいのですか?」
「えぇ、その方が私も貴方を送っていく手間が省けますからね。客室はどの部屋を使っても問題ありません。」
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翌日。
起きると既に朝食を作っていたサフィールに起こされて共に研究室へと出勤した。
王宮の陛下の私室前まで送って私の役目は終わりだ。
「では、私はここで。」
「は、はい…、本当にありがとうございました。」
別れようとするとサフィールが急にモジモジとし始めた。
「?まだ何か?」
「あのージェイド…ついて来てくれませんか?」
…またこの馬鹿は何を言い出すのだろう。恋人同士の甘い時間の中に何故私が行かなければならないのか。
あんな甘いオーラ全開のうっとおしい空間は本人同士以外には苦痛でしかないというのに。
「嫌です。」
「ど、どしてですかぁ!」
「誰が好き好んで恋人同士の逢瀬に立ち会いますか。」
「こ、コイビトとか言わないで下さいよ…ちょ、お願いしますよぉジェイド!」
「嫌と言ったら嫌です。そもそもなんで私が行かなくてはならないんですか。」
「だ、だって昨日は知らなかったとは言え、絶対にピオニーのこと傷つけてしまって…どんな顔してこれを渡したらいいんですかぁ!」
だからこいつはどこの乙女だ。
こんな事になるなら昨日チョコなんて作らせるんじゃなかった。
「…って事だそうですよ、へ・い・か~w」
「っっサフィーーール!!」
「え、ぇ!?ギャァァアァァアァーーー!!」
私室の前でのやり取りが始まった時点でピオニーはドアを少し開けサフィールが入ってくるのを今か今かとこちらの様子を窺っていたのだ。
当然、それにサフィールは気付いていなかったようだが。
飛び出してきたピオニーに抱きしめられて悲鳴をあげる。
こういう所は幼い頃から変わらないなぁ。とジェイドは思いつつ、もうこちらなど見えていないだろう君主と腐れ縁の幼馴染ためにその場を後にした。
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ジェイドが居なくなった後、サフィール曰くブウサギの巣にサフィールは連れ込まれた。
そしてもはや定位置であるベッドに座ったピオニーの膝の間に抱きこまれている。
今日会ってから居心地が悪そうにずっと目を合わせないサフィールに配慮してかピオニーも無理矢理覗き込むことはせずに、ゆっくりと優しく語り掛ける。
「な、サフィール。それ俺にだろ?」
「……ピオニー、怒って無いんですか?」
「仕方ないさ、お前のせいじゃない。」
「でも、貴方はバレンタインをすごく楽しみにしていたんでしょう?」
「まぁ、それはそうだけどな、でも、それよりも今そうしてサフィールが俺のこと気にしてくれてる方が嬉しいよ。」
「……ピオニー。」
振り向くと晴天の空のような暖かな色の澄んだスカイブルーの瞳。
そして、自分を呼ぶ柔らかな声。
「サフィール、ようやく目を合わせてくれたな。」
私を選んでくれた人。
それだけで、サフィールは不安で仕方なかった己の胸が満たされるのを感じた。
その勇気に後押しされるように大事に胸に抱えた包みを差し出す。
「ピオニー…、一日遅れてしまいましたけど、受け取ってくれますか…?」
「あぁ、もちろんだ。」
「ピオニー、ありがとう。……大好きです。」
そう言ってピオニーが包みを受け取ると、サフィールはへにゃんと、蕩けるような笑顔になった。
こうして時々、弱いところを見せてくれたり、俺のことで悩んでくれたり、何よりもこの笑顔が見られるから、
だから普段どんなに冷たくされても大丈夫だって思えるんだ。
そうピオニーは思った。
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あとがき?
久しぶりにノンストップで書いた話(しかもバレンタイン)なのに、まさかのPD(笑)
だって甘々って言ったらJDよりもPDなだもの!(個人的に)
最近私の中ではJDは殺伐とした話が結構ツボにきてるので、今回は甘くPDで。
でも、なんかサフィールとピオニーは付き合っててもサフィールの中での一番はジェイドな気がする。
なんか一番って言うよりは別格みたいな感じ。
私たちの感覚から言うと凄く好きで大切な恋人=ピオニーで、手が届かないテレビの中の人(芸能人)=ジェイドみたいな感じ?
だから、ピオニーと付き合ってても、ジェイドジェイドと言い、ピオニーは時々自信を失くします。
でもサフィール的にはそれは無意識で、好きなのはピオニーなので、問題無(笑)
あ、個人的にはこのバレンタインには義理チョコとかいう概念は無くて、本当に好きな人にだけあげる恋人達の日。だからサフィールは今まで知らなかった的な設定です。じゃなきゃ流石に35でバレンタイン知らないとか不憫ですから!(笑)
おまけ?的なもの。
「な、サフィール何作ったんだ?」
「えっと、ガトーショコラとトリュフです。」
「?ガトーショコラしか入ってないぞ?」
「あ、トリュフはジェイドにあげましたよ。」
「Σは!?お、お前まさか二股とか…そう言えば今日二人でここまで来てたし…」
「ち、違います!!ジェイドには今回色々お世話になったし…」
「でも、お前バレンタインってのは一番好きな人にだけあげる特別な…!!」
「だ、だって私ジェイドの事も一番好きですよ?」
「…」
「…」
「さ、」
「さ?」
「サフィールの馬鹿やろぉおおぉぉおおぉ!!!」
「ちょ、いい年してピオニー泣かないで下さいよ!」
「サフィールは俺のこと愛してないんだぁー!いつもジェイドジェイドって!」
「どうしてそうなるんです!私が愛してるのはピオニーだけです!ジェイドのは親友として…」
「じゃあこれ、お前の手で食べさせてくれ。」
「え、」
「ダメなのか?」
「い、いえ…」
「ちゃんと“ピオニー、あーん”って言えよ。」
「はいはい。“ピオニーあ~ん”」
「…美味しい。」
「そうでしょう。昨日頑張ったんですからね!」
「くぅぅ…サフィール、やっぱ愛してるーー!!」
「ぎゃぁあぁああーー!!」
終われ☆
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